わくわくダサイランド

プッチンプリンのぷるるん食感そのまま、豆乳クリーム・国産大豆を使用した豆乳をベースにアーモンドペーストでコクづけし、まろやかな風味を実現しています。動物性原料を使わず、きび砂糖などの植物性原料ならではの素材でやさしい甘さに仕上げました。※着色料・保存料・人工甘味料不使用

ある日の日曜日

先日、ふらふらとゲームセンターへ赴きました。

 
何気なしに麻雀ゲームの席に着き、100円を投入したが最後、怒涛の如く上りに上り、満貫跳満役満の狂喜乱舞で席を立とうにも全然終われない、なんて事はなく、そのゲームでは麻雀漫画「咲-saki-」とのコラボで劇中のキャラクターと対局出来るのですが、主人公である宮永咲氏に東2局で振り込んだのを機にテンパイすらろくすっぽ出来ず、ずたぼろのぼろ雑巾みたく朽ち果て、すごすごと自宅へ帰りました。
 
というか、嶺上開花で上がらないんですね、咲さん。普通に白のみとか、メンタンピンで上がってくるんですね。私みたいなクソ雑魚ナメクジには実力出すまでも無いって事なんでしょうか。その辺り、今度、咲さんに伺ってみたいと思います。
 
大体そんな感じの、日曜日の午後でした。

2020

紳士ならびに淑女の皆さま、あけましておめでとうございます。

 
お正月は、銭湯に二回行ったり、ココアを1日に3本飲んだりしてる間に過ぎ去って行きました。
柄にもなく、お雑煮をこしらえたりしてみたのですが、お餅を数個投入したところ、一つの巨大なかたまりになってしまったり、今年は遅刻をしないぞと意気込んでみた矢先に、親族の集まりに早速遅刻したりしてしまったりしたので、今年は背伸びしない程度に、相応に頑張って行きたいと思う所存です。
 
本年もよろしくお願いいたします。
 
追伸。
紅白歌合戦の視聴率が、いまいち芳しく無かったらしい。世界の「KISS」が出ていたのに、なぜなんでしょう?
 

 

年末の過ごしかた

今年も残す所わずかとなりました。

 
毎年、クリスマスは親戚の誕生日ということもあって、親戚宅で過ごすことが多かったのですが、今年は諸事情により自宅にて過ごしておりました。
毎年夜になると、ソリに乗って世界中を飛び回る仕事をしていたのですが(詳細は企業秘密にてお教えできません。あしからず)、今年はフィンランドから代理の方が来てくださったので、それもなく、別段やる事も無かったので、映画「ホームアローン」の主人公が強盗を欺くために、実際は家に一人なのにあたかも賑やかそうに振る舞っていたシーンを再現しようと、一人で踊ったりしてみたのですが、猫が何だコイツみたいな眼で見てきたので、静かにお風呂に入り早々に就寝しました。
 
今年の紅白歌合戦は、KISSが出るみたいでとても楽しみです。
KISSの名古屋公演に行ってきたので、また折を見てその事についても書きたいと思います。
 
とりあえず、こんな感じです。

夜空の向こう側へ

便座カバーが星座をあしらったものへと変わっていた。

 
満天の夜空に輝くはずの星々が、お尻に敷かれているのだと思うと、なんだか爽快な気分であり、星座の僅か下を排泄物が流れゆく光景は、実に愉快であった。
 
化物語」の最終話にて、阿良々木君と戦場ヶ原さんが寝転んで夜空を見上げるシーンは実に美しいものでしたが、同じ題材でもここまで汚くなるもんかね、と我ながら思います。

小心者なわたくし

時折訪れるゲームセンターに、先日、ふらりと立ち寄ったところ、サンタクロースの格好をし闊歩する女性の方がいらっしゃった。

うっすらと恐怖を感じ、距離をとってよく見てみたところ、それは店員さんであった。
 
そこでふと、私は何故か『コスプレをしている人がちょっと怖い』と感じるという事に気付いた。
自分なりに原因を考えてみる。
 
テレビやスマホの画面越しには全然そういった恐怖心は感じない。また、コンサートやショーなどの、ステージの上でそういった格好をされているかたがいる場合も同様である。
あくまで普段の日常内で対面した時の場合のみである。
 
現実世界(ここでは、我々が薄らと認識している共通概念的な意味合いのものを指す)、に突然イレギュラーな、異質のものが入り込んできたという事に対する警戒心的なものが働くのだろうか。
 
道化恐怖症(ピエロ恐怖症、クラウン恐怖症とも)というものをふと思い出す。
 
「表情が読み取れない」、「創作上にて悪役に描かれることが多い」、「奇抜なメイクや衣装など、現実感がない」などの様々な理由から、ピエロに対する恐怖心を強く抱いてしまい(主に幼少期に)、湿疹や気絶などといった重度の症状が出る場合もあるらしい。
 
私の場合、少々の恐怖を覚える程度なので、恐怖症には当たらないが、「奇抜で現実感が無い」というピエロとコスプレに共通する点も見受けられ、これに近いものなのかもしれない、と思う。また、サンタクロースについても恐怖心を感じる事例も多々あるらしく、今回の件にも通づるところがあるのではと。
 
厳密には違う点も多々あるかとは思うが、一応自分なりの、なんとなくの結論が出せた事により、恐怖を感じても大丈夫だと思える様になった。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とはよく言ったものである。
 
ちなみにその日、プレイした音ゲーのスコアがかなり散々なものだったのですが、これと関係あるんでしょうか。
サンタのお姉さんに抗議してこようと思います(足をぶるぶる震わせながら)。

ピアノ

図書館にて、ふとピアノに関する書籍を手に取った。

かつて学生コンクールでは全国1位になり、有名音大を首席で卒業した著者が、アメリカに留学した際、簡単なアルペジオやコードを延々弾く練習しかさせて貰えなかった、といった事が冒頭に記されていた。
もちろん、これはより良いピアニストになるための練習だった訳で、当時はわざわざ日本からそれなりのキャリアを背負って渡米したにも関わらず、単調な練習ばかりで辛かったが、後に重要な体験であった語っている。
 
恐ろしい世界である。
上には上がいて、それはどこの世界でも同じであるが、いざ実体験を通じて見るとあまりの途方のなさに愕然としてしまう。まるで、はるか地平線の彼方を目指し歩を進める旅人のようである。手にした地図やコンパスという保証のない才能を信じながら。
 
最初に‘‘ふと手に取った’’と記したが、本当のところは私自身何か良いピアノの教則本は無いかと探していたためで、当書に少し目を通した私は完全に怖気付き、すごすごと帰ってきてしまった。次回は、児童向けのカンタンなやつを借りに行こうと思います。